日本人の嗜好がテレビによってコントロールされていたというのは感じるね。ただしそれ以上に感じるのは、日本人は同じ日本人をリスペクトしないということ。大谷翔平氏もそうだけど、日本人がリスペクトするのって、大抵が海外、とりわけ白人文化圏でリスペクトされている人に限られている。ピコ太郎ネタも、ジャスティン・ビーバーが取り上げたことで有名になったことは確かだけれど、それ以上に日本でのテレビの紹介が「ジャスティン・ビーバーがシェアした」という点ばかり押し出していた。これは今インターネットで検索しても当時の記事が見つけられる。ピコ太郎ネタが面白いということでなく、あのジャスティン・ビーバーがシェアしたから面白いというのが、当時も今も変わらない日本人の受け止め方だ。他にも、とにかく明るい安村氏の例がある。イギリスのテレビ番組で評価されたことが日本で知れ渡ると、一気に日本での取り扱いも増えた。 これらの根底にあるのは、日本人の評価は白人の評価によって左右されるという、歴然とした事実だ。 ただし、それでは腑に落ちない点が今回のピコ太郎ネタ。記事内の冒頭で触れられているが、YouTube20周年記念スペシャル動画で日本人で唯一出演できたという海外からの評価に対して、当初は日本人の反応は全くなく、今回のこのデイリー新潮での取り扱い内容も、1週間以上時間が経ってからの別の特集記事のネタとしてしか扱われていないものだ。ピコ太郎ネタは既に古いという意識が日本人にあるから? それとも、英語を理解できない人が多くて、英語圏の情報がリアルタイムで伝わりづらいから? インターネットでの評価は受け入れられないから? 正確な原因は分からないが、どちらにしても、日本人が面白いものを面白いと受け取るのに、他にも何枚かのフィルターを通している事だけは確かなのだろう。 ある意味、保守的とも言えるのだけれど。新しい物事に対して自分の感性で受け入れることができない。偉い人からの評価でしか受け入れられない。…というね。しかもそれ以上に厄介なのが、熱しやすくて冷めやすいということ。偉い人からの評価で盛り上がっても、時間が経つとすぐに元の状態に戻ってしまう。まぁ、自分で心底面白いと思って盛り上がっているわけではないのだから、それが当たり前なんだけどね。あとリスペクトという点も、日本人特有の他人を褒めない事情が根底にありそう。褒めるというのは、その人より上の立場、見下しているという変な思い込みがあるから、安易に人を褒めない。尊敬するにしても、日本人は「あなたを尊敬しています」なんて口に出して伝えないからね。そういうのが演者の自己肯定感の低さに繋がっていく面は確かにあると思う。
- 元記事
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ブレイクから8年 「ピコ太郎」はなぜ世界を席巻したのか 古坂大魔王が世界を回って感じた「笑いを受け止める文化の違い」
https://www.dailyshincho.jp/article/2025/05050600/
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