こういうことを平然と言うのだから、やはり日本人に原子力発電所のようなリスクの高い技術を扱うことは不可能だということが分かるな。これは日本人個人単位での技術力を問題にしているわけではなく、日本人が作る組織というのがことごとく社会性を無視した利己的欺瞞性を発露するに陥るという事実に基づくものだ。一般社会において何が問題かを理解する気がなく、「死者ゼロ」という自らに有利な事実を殊更に強調したがる。そんなのは当然のことであり、むしろ死者なんか出ていたら、とりわけ一般の住民に死者が出ていたら、日本の原子力発電所が全解体でもおかしくない。 さらに指摘するのであれば、「放射線による」も余計だ。例えば、福島第一原発において事故前から所長の地位にあり、事故後も陣頭指揮に当たっていた吉田昌郎氏は、2013年7月9日に亡くなっている。氏の死因は食道癌であると公表されているが、一般的には事故による被曝が原因ではないとされている。つまりそういうことで、いわゆる関連死であろうことが疑われる件ですら、無責任にも無視しようとしている。 「事故が起きなければ氏がこれほど早く亡くなることはなかったかもしれない。だがそれはあくまで可能性の話であり、福島第一原発事故との関係は立証できない。」という理論展開をしてしまう。マニュアルに記載されていないシビアアクシデントが発生したことが問題であるということを、理解しようとしていないのだ。 福島第一原発事故において何が一番の問題かというと、人間が発電システムの全てを100%完全にコントロールできなかったという点。これが即ち人間社会の存続に甚大な被害を与えるということが、最大に問題視されるべき点であり、その過程において「放射線による死者はゼロ」なんていうのは達成されて然るべきことになる。 地震が未曾有の規模であったとしても、それがいつか起こり得ることは分かっているのであり、それが例え100年1000年単位であろうと関係はない。現実に東日本大震災は起こり、福島第一原発は甚大な被害を受けて最悪のメルトダウン、もしくはメルトスルーが発生した。地震自体は起こると分かっていたし、それによる津波も同様である。だがそれらのケースを原発運営におけるリスクコントロールに組み込むことができなかった。原発運営において障害になる事柄なので、それらのリスクを過小評価することにより、意図的に責任を回避した。自己の組織的利益を優先し、社会全体の存続性を蔑ろにした。ここから読み取れることは、原発に関連するあらゆる組織が、その組織的目標を達成するためのただの政治集団でしかなく、自らの行動を科学で論理武装した利権集団でしかないということだ。 私はこの様な事態を目の当たりにして、やはり日本人に原発運営は不可能であるという結論に至っている。個人的な技術力よりも、日本人には組織を正しい目標に向かって導く能力が欠如しているのだ。この様な本質的欠陥がある以上、原発運営が正しく行われることは非常に困難であり、これからも同様の天災が起こる度に似たようなシビアアクシデントが発生する危険性を無視できない。やはり、日本人に原発は無理なのだ。
- 元記事
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原発事故から14年。「放射線による死者はゼロ」健康被害を科学的に検証すると
https://news.yahoo.co.jp/articles/e933b14bb0a45e7b919b7251a8abdecfe4699269
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