Yahoo!のニュースで専門家の方が『被団協にはなぜ「理解に苦しむ」のか説明して欲しいと願う』と書かれていた。端からで悪いが自分としてはこの現象には一つの心当たりがあって、それは「神の比較」。 日本の神様を「イエス・キリストのようだ」とか「アッラーのようだ」と表現される感覚に近い。広島の原爆被害者の方にとって、被爆の経験は唯一にして絶対不可侵のものであり、何物とも比較されるべきことではない。それは即ち、被爆の経験を他者に扱われることは、自らの存在の希少性を下げることになるからだ。かつてのカトリック教会が、預言者の存在についてその真偽を厳しく審査していたことと似ている。被団協にとって、被爆の経験を紛い物の比喩で薄められたくないという感情は確かに存在するものだろう。
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「核兵器と重ねる発言、理解に苦しむ」日本被団協 箕牧代表委員 山火事「原爆投下後の広島」と表現
※元記事は掲載終了しています。https://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000027083.html

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